こんにちは。てまりんです。
『言ってはいけない 残酷すぎる真実』
橘玲著
2の続きです。
もしよろしければ、まだの方は併せて2をご覧ください。
「言ってはいけない 残酷すぎる真実」2 - temarine’s blog
「知能」はともかく、もっとタブーとすることは「精神の病気」「犯罪」と遺伝の関係、と著者はいいます。
興味のある方は本書を読んでいただきたいと思うのですが、中でも私がとても興味をもったのは、犯罪と心拍数の因果関係についてでした。
安静時心拍数が低い人に、反社会的人間が多いという研究があるとのこと。
心拍数というのは体の機能のことなので、一層遺伝的な要素を感じます。
これを説明するには、三つの仮説があるといいます。
一つには恐怖心のなさの現れであるとするもの。
二つ目は、共感力が低いということ。
三つ目は、刺激の追及ということ。覚醒度の低さが不快な生理的状況をもたらし、それを最適なレベルに引き上げるため、反社会的行動を求めるのではないかということ。
この三つ目に私は興味を覚えました。
著者は続けます。「この仮説では、ひとにはそれぞれ快適かつ最適な覚醒度があると考える。心拍数が低いと容易にその覚醒度に達成できず、誰かを殴る、万引きする、麻薬に手を染めるなどの方法で刺激を高めようとするのだ。」
さて、胡散臭い話に見えますけど、これには大規模な実証実験によって実証されているというのです。
マダガスタル東方のインド洋にあるモーリシャスで1967年、WHOによって「将来的に臨床障害を発達させる危険性を持つ子ども」に関する研究が行われたとのことです。
3歳時に「刺激を避けるタイプ」と「(刺激を追及する)冒険家タイプ」にわけ、
11歳時に「けんかをする」「人を殴る」「人を脅す」などの攻撃性を含む問題行動を、親にチェックしてもらったところ、3歳時に「(刺激を追及する)冒険家タイプ」だった方が、11歳時点での攻撃性は高い傾向とわかったそうです。
もちろんみんながそうなるという話ではありませんが、比較すると多いということ。まあ、それはなんとなく想像できることですね。
さて、この実験では、一人の少年と一人の少女が、もっとも心拍数が低く、最高レベルの刺激追求度と恐怖心のなさだったといいます。
この少年は、成人すると、盗み、暴行、強盗などで有罪となりました。典型的なサイコパスで、他人を恐れさせ、従わせることに快楽を覚えるタイプだったようです。
一方の少女は全く違いました。子どものころから、何でも試してみよう、世界を探検しよう、みんなの前に積極的に出ようと考えていたというのです。そして少女はミスモーリシャスになって最高の刺激を実現したというのです。
つまり、身体的な傾向も、もってき方次第で大きな成功者になれる。ということでしょうか。
そして、心拍数だけではなく、続いて「発汗」についても実験がありました。
こちらも面白い内容だったので、興味のある方は本書をご覧くださいね。
さて、身体的なものに気持ちが引っ張られる?いわゆる病気じゃないのに?
そう考えると、思い当たることがあります。
私はいろいろと不快なんです。体は丈夫なのですが、何だか人と自分は違うぞ!と小さなころは本気で悩んでおりました。
小学生の子どもがあまりやらないような、健全だけど、親には知られてはいけない冒険をこっそり沢山やりました(自転車で山道を県境まで行く、危険な岩にこっそり登る、禁じられている場所に大雪のときに分け入るなど)←お子さんは真似しないでください!
図書館では、棚の端から児童書を読み、父の書棚も端から読んでいました。
ませていましたが陰気で、小学校のころから、この人生を終えてしまいたいなあなど思うことも良くありました。
心拍数も余り上がりませんし、上がると不快になるので、ドラマもあまり好きではありません。もちろん、大人になるにつれ小説の場合は読む作家は限られ、主にファンタジー系を好みます。
アルコールを飲むのも、思えばアルコールを飲んだときの酩酊感ではなくて覚醒感が好きなのです。
昔昔、舞台をしていた時期もありますが、芝居が好きというのではありませんでした。
ただ私は、やっていないことを一つずつやってみたいと思い、やってみていただけでした。
人は脳で考えますが、心臓もやはり司令塔なのだなあと、この章を読んで感じました。
小学校のころの私の希死念慮も、いつも馴染みで兄弟みたいなものでしたが、いじめとかが原因で死にたいだけではなく、なんとなくというものが多かったのでした。
もちろん、そんな変な少女だったので、はぶられたりし、もちろん傷ついたりもしましたが、まあ読書をしたり、正当性のある自分を守る考え方をしたりして、何か切り抜け今に至ります。
今私が生きているのは、仏教的な宗教観と、どうせ死ぬなら○○食べてからにしよう。という、食いしん坊体質のおかげと思います。
今は、どうせいつか死ぬのだから、早まらずにいろいろみてからにしよう。と思っています。
そして、こうした生きにくさが、実は自分が変なやつだからではなく、身体的な遺伝のせいなら、とても面白いし、救われる気がします。
<続く>